常に最適解を追い求めている自分に嫌気がさしてしまった。
選択の判断基準が「科学的にプラスの効果があるから。」だけになってしまっている気がする。そこにはあまり感情がのっていない。
メリットが多いことは事実だから、最適解には従うんだけど。
ただ最適解を追っても実際にはその通りに行動できないことって多い。
その原因を探る、仮説を立てて実験して改善する。
朝起きれなかった→なぜだろう→睡眠の質がよくない?→寝る1時間半前に風呂に入ると寝るころにちょうど深部体温が下がってよく眠れるらしい、また寝る前にブルーライトを浴びないほうがいいらしい→寝る1時間半前に風呂に入るにはどうするか?→それまでに一日のタスクを終えなければ。
このプロセスが大切なことはわかるが疲れてしまった。
それに最適解、つまり正解がない場合だってある。
価値判断が基準に加わるときだ。
いくら面白そう・やってみたいと思っても、それ相応のコストがかかる場合、
そのメリットデメリットを比較することになる。
当たり前の話だが、つきつめていくと面白そうでもやらないことを選ぶこともでてくるだろう。
投資判断はそれ以上のリターンが見込めなければ行われない。
その金銭以外のリターンの大きさを自分で測れない。
面白そうで選んでいいって自分に言い聞かせても、思考がぐるぐるめぐってしまう。
面白そうって思ったものも、考える中で面白くなくなっていってしまう。
自分の気持ちが分からない。
と、この文章をAIにぶつけてみた。
自分なりに得られた考えは、「もっと適当でいいんじゃね」だ。
朝起きれなかった→寝るか。ぐらいで思考を止めてみてもいいのかもしれない。